丸尾 達

丸尾 達
http://www.chuseum.jp

JCI日中交流総研 代表

富士銀行時代、南京事務所開設準備に従事し、40を超える中国の都市を視察。

同行退職後は南京大学修士課程に就学。
『中華民国史新論』(三聯出版社)の中で論文を発表。
修士学位取得後は上海を中心に日本語教育ビジネスを展開。
『新編日語教程』(1~4巻、華東理工大学出版社)を出版した他、中国全土13都市に20校以上展開する日本語サロン『桜にほんご』のアニメーション教材を制作し、副校長に就任。

この間、中央電視台『朋友』、上海東方電視台『中日之橋』、南京電視台『市民論壇』はじめテレビ番組も多数出演。

現在は「真剣に日中間の架け橋になりたいと考えている日本人、中国人の方のサポートができれば」と「中国」をキーワードとした人材紹介業に携わる。

2012年、京都商工会議所アジアビジネス相談デスクアドバイザー就任。

世界陸上銀メダリスト、劉翔選手の少年時代

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 韓国テグで行われた世界陸上、皆さんもご覧になったでしょうか。既にご承知かもしれませんが、中国の劉翔選手が110mハードルで見事に銀メダルを獲得しました。

 もっとも元世界記録保持者でありアテネ五輪金メダリストである劉翔選手からすれば不本意な結果だったかもしれません。それもロブレス選手(同競技失格で金メダル返上)との接触があったことで実力を出し切れなかったのですから尚更です。

 中国はアテネ大会(2004年)で、実は得意種目でかなりの“取りこぼし”がありました。それを克服して、最終的には [...]

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中国人が学んだ「抗日戦争史」(7)

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 長々と掲載させていただいてきた中国歴史教科書の翻訳、今回が最終回です。第1回から続けてご覧になっていただけた方、正直、途中しんどかったと思います。読破ありがとうございました。でも苦労してお読みいただきながら、きっと周囲の中国の皆さまがどんな歴史教育を乗り越えて日本を向き合ってくれているのかを改めて実感できたことと思います。この翻訳をご覧いただいたことによって、中国に対し敵意や危険を感じるのではなく、こうした教育を受けた後もなお日本と真摯に向き合おうとしてくれている皆さまの同僚の中国人の方に対 [...]

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中国人が学んだ「抗日戦争史」(6)

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23.百団大戦

 抗日根拠地の発展は敵の後方を脅かした。1938年末から日本侵略軍は大部分の兵力を結集し狂ったように抗日根拠地を攻撃し始め、”囚籠(囚人収容の檻)政策”を実行し、根拠地を殲滅せんとした。八路軍と新四軍とその他の人民抗日武装団は極めて苦しい状況の中でゲリラ戦を継続し、日本軍の進攻を粉砕した。

 1940年、八路軍は彭徳懐の指揮のもと、次から次へと100以上の師団を組織し、華北2,000キロ以上の戦線において、日本軍に対し大規模な攻撃をしかけた。歴史上& [...]

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中国人が学んだ「抗日戦争史」(5)

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19.続く国民党の抗戦と敗退

 日本帝国主義が国民政府に対して投降を誘導する政策を採ってから、蒋介石一派は日本と秘密裏に会談を開き、投降活動をしていた。一派は主要兵力を南西や西北へ移動し消極的抗戦をおこなっていた。

 国民政府は早期の投降を迫るだけでなく、日本帝国主義はまだなお国民党統治区に何度も進攻を続けていた。1939年、日本軍は南昌を進攻し、国民政府はそれに抵抗をしたが、南昌周辺での争奪戦の結果、日本軍が化学兵器を使用し、中国軍隊は大きな損失を被り、浙江・江西の防衛ラインまで撤退を余 [...]

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中国人が学んだ「抗日戦争史」(4)

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15.日本の中国侵略方針の変化

 広州、武漢の陥落後、戦争の様相には変化が発生した。日本軍は大きな中国領土を支配するのに、あまりに戦線を長く引き過ぎたために兵力も不足し、国内資源にも圧迫を与えた。中国共産党が指揮する背後からのゲリラ戦も猛烈なる発展を遂げ、抗日根拠地も急速に拡大をしていき、敵軍は背後からの威嚇に脅えるようになった。

 日本侵略者は戦略方針の変更を余儀なくされた。国民党に対しての大規模軍事行動をやめ、政治的支配を主とし、軍事的支配を補助的なものとした。そして八路軍や新四軍とい [...]

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中国人が学んだ「抗日戦争史」(3)

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11.全面抗戦路線

 中国共産党は全面的抗戦路線、すなわち人民戦争の路線を実行した。1937年8月、中国共産党は陜北にて世にも名高い”洛川会議”を開いた。会議場にて動員された者は全力で抗戦の勝利をつかみとることが決定され、『抗日救国十大綱領』を通して、すでに発動されていた抗戦は全面的な民族抗戦にまで発展した。会議はまた、敵の背後にまわり、独立自主のゲリラ戦を展開することを決定した。敵の背後を戦場とし、敵の背後に抗日の根拠地を建設したのである。全面的抗戦路線の指揮のもと [...]

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中国人が学んだ「抗日戦争史」(2)

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7.盧溝橋事件

 1937年7月7日夜、日本侵略軍は北平(現北京)の南西にある盧溝橋を進攻し、長い間たくらんでいた全面的侵略戦争を開始し、また中国軍が抵抗したことによって全国的な抗日戦争となった。”盧溝橋事変”はまたの名を”七七”事変ともいう。

 盧溝橋は北平の南西、宛平県城のそばにあり、平漢鉄道の要所であった。事変が勃発前、北平は三方を日偽軍(日満軍)に統制されており、盧溝橋のみが北平から南方のその他の地域へ抜ける道であった。この理由によっ [...]

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中国人が学んだ「抗日戦争史」(1)

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 8月15日、日本は66回目の終戦記念日を迎えました。私は10年の中国生活で何千人もの中国の若者と出会うことができました。そして10年ぶりに日本に帰ってみて…過去の戦争責任に対する思いについては、日本人と中国人ではその温度差に乖離があるのですが、それが「益々大きくなっている」というふうに感じました。

  以前、楽天広場ブログ上で、私は中国の歴史教科書の日本語訳を掲載しました(現在、当ブログは閉鎖)が、今回、日本の多くの方に「中国人が学ぶ“抗日戦争史”」を理解していただこうと思い、ここに再度掲 [...]

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至于你们信不信,反正我是信了。

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 先のコラムでもお伝えしましたが、7月23日夜に起きた中国浙江省での高速鉄道事故に対する中国政府の対応に対して、中国版ツイッターである『新浪微博』上では引き続き、政府を批判するツイートで溢れ返っていました。

7月26日14時

● 香港紙一面での「鉄道の復旧だけにこだわり人命を救わず」という見出し字を写真で掲載。

● 「政府発表の死傷者数を乗車可能数から差し引くと、残りの人数はどうなったの」という内容のツイートあり。

7月27日0時

● 香港紙一面での北京語の罵り言葉「他媽的!」が見出 [...]

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中国高速鉄道追突事故、その裏で…『新浪微博』上に見た中国若者達の影響力

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7月23日、浙江省温州市において中国高速鉄道の追突事故が起きたことは既に多くの方がご存知だと思います。また、中国政府の対応について日本国内でも様々な方が色々な意見を発表されています。特に、事故直前とも言える北京-上海間高速鉄道の開通時期に中国政府が「技術は日本から導入したものではなく自国独自のもの」と発表し、特許を申請しようとしたことから日本国内では多くの専門家やマスコミが今回の事故をキッカケとして中国政府を批判する状況が多見されます。

今回のコラムでは(私に鉄道技術も分かりませんので)そう [...]

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