- 中国で外国人留学生激増・・・その一方で日本人留学生は減少
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2011年12月の中国出張で、私は南京を訪問しました。南京に到着して、まず私は一人で南京大学構内を散歩しました。南京大学は来年百十周年を迎える伝統ある大学で、民国時代は、首都が南京であったことから、もともとは中国の“中央”大学(現在の北京大学、清華大学のような位置付け)でした。歴史ある校舎や大木が多い、古都に相応しい美しい大学を目指してくる外国人留学生も当然少なくありません。
新留学生楼は大変立派な高層ビルです。大きな大きな外国人専用の図書館やお洒落なカフェもあります。南京大学は間違 [...]
- 新浪微博で日本ファンを増やそう!
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先日、新婚旅行でタイから帰国されたばかりのお客様のNさんにお話をお聞きしました。「洪水、大丈夫でしたか?」という問いには「バンコクまで水が迫ってきたということだったけど、宿泊先や空港では問題なかった」とのことでした。尤もお客様がゆっくり過ごされたのはプーケットで何ら問題はなかった様です。
「実は、洪水の他に驚いたことがあるんです」とNさんは話を続けました。それは日本人観光客が自分達一組しかおらず、外国人旅行客の半分以上は欧米人で、残りは「中国人をはじめとする華人だった」という [...]
- 中国人が学んだ『辛亥革命』
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10月10日は台湾の国慶節、「双十節」。それも今年は百周年!つまり1911年のこの日、辛亥革命が起こり、これが清朝による封建体制の打倒に繋がり、アジア初の共和国である中華民国を生んだのですが、この“辛亥革命”が中国の歴史教科書ではどのように教えられているかをご紹介します。
なお、私が翻訳した教科書は95年出版のものなので、現在の30代で社会でバリバリ働いている中国の方達がどのような歴史教育をされてきたかがご理解いただけると思います。
(人民教育出版社『中国歴史』第3冊 100ページ [...]
- 中国の月餅バブル
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今年の中国の中秋節は9月12日で月曜日。土日に続いて三連休となりました。日本でも「中秋の名月」を観賞する習慣はありますが、それもやはり中国から伝わったもの。中国では未だにこの行事を「一家円満団欒の日」として大事に過ごされます。
家族揃って食べたいのが“月餅”です。日本では中国菓子として通年食べることができますが、中国では中秋節の付物として、この季節に出てくるのが一般的です。そして普段お世話になっている人に“月餅”を贈ります。企業では従業員に対して配るところも少なくありません。
今年は [...]
- 中国では盛り上がっているか?サッカーW杯予選
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サッカーW杯ブラジル大会の予選がスタート。女子代表の五輪予選も重なって、日本ではサッカー三昧の毎日ですね。さて、中国ではどうなのでしょうか。1999年の女子W杯で準優勝まで上り詰めた中国女子サッカー代表、そして、2002年日韓大会にてW杯初出場を果たした中国男子サッカー代表、ともに、その後衰退の一途を辿り人気も影をひそめてしまったことは以前のコラムでも紹介させていただいたとおりです。
しかし、中国男子サッカー代表は今年から高洪波前監督に代わって目玉となる新外国人監督を据え、中国のサッカー [...]
- 世界陸上銀メダリスト、劉翔選手の少年時代
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韓国テグで行われた世界陸上、皆さんもご覧になったでしょうか。既にご承知かもしれませんが、中国の劉翔選手が110mハードルで見事に銀メダルを獲得しました。
もっとも元世界記録保持者でありアテネ五輪金メダリストである劉翔選手からすれば不本意な結果だったかもしれません。それもロブレス選手(同競技失格で金メダル返上)との接触があったことで実力を出し切れなかったのですから尚更です。
中国はアテネ大会(2004年)で、実は得意種目でかなりの“取りこぼし”がありました。それを克服して、最終的には [...]
- 中国人が学んだ「抗日戦争史」(7)
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長々と掲載させていただいてきた中国歴史教科書の翻訳、今回が最終回です。第1回から続けてご覧になっていただけた方、正直、途中しんどかったと思います。読破ありがとうございました。でも苦労してお読みいただきながら、きっと周囲の中国の皆さまがどんな歴史教育を乗り越えて日本を向き合ってくれているのかを改めて実感できたことと思います。この翻訳をご覧いただいたことによって、中国に対し敵意や危険を感じるのではなく、こうした教育を受けた後もなお日本と真摯に向き合おうとしてくれている皆さまの同僚の中国人の方に対 [...]
- 中国人が学んだ「抗日戦争史」(6)
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23.百団大戦
抗日根拠地の発展は敵の後方を脅かした。1938年末から日本侵略軍は大部分の兵力を結集し狂ったように抗日根拠地を攻撃し始め、”囚籠(囚人収容の檻)政策”を実行し、根拠地を殲滅せんとした。八路軍と新四軍とその他の人民抗日武装団は極めて苦しい状況の中でゲリラ戦を継続し、日本軍の進攻を粉砕した。
1940年、八路軍は彭徳懐の指揮のもと、次から次へと100以上の師団を組織し、華北2,000キロ以上の戦線において、日本軍に対し大規模な攻撃をしかけた。歴史上& [...]
- 中国人が学んだ「抗日戦争史」(5)
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19.続く国民党の抗戦と敗退
日本帝国主義が国民政府に対して投降を誘導する政策を採ってから、蒋介石一派は日本と秘密裏に会談を開き、投降活動をしていた。一派は主要兵力を南西や西北へ移動し消極的抗戦をおこなっていた。
国民政府は早期の投降を迫るだけでなく、日本帝国主義はまだなお国民党統治区に何度も進攻を続けていた。1939年、日本軍は南昌を進攻し、国民政府はそれに抵抗をしたが、南昌周辺での争奪戦の結果、日本軍が化学兵器を使用し、中国軍隊は大きな損失を被り、浙江・江西の防衛ラインまで撤退を余 [...]
- 中国人が学んだ「抗日戦争史」(4)
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15.日本の中国侵略方針の変化
広州、武漢の陥落後、戦争の様相には変化が発生した。日本軍は大きな中国領土を支配するのに、あまりに戦線を長く引き過ぎたために兵力も不足し、国内資源にも圧迫を与えた。中国共産党が指揮する背後からのゲリラ戦も猛烈なる発展を遂げ、抗日根拠地も急速に拡大をしていき、敵軍は背後からの威嚇に脅えるようになった。
日本侵略者は戦略方針の変更を余儀なくされた。国民党に対しての大規模軍事行動をやめ、政治的支配を主とし、軍事的支配を補助的なものとした。そして八路軍や新四軍とい [...]





















