合弁をめぐる問題はすべて解決 『中国合弁工場顛末記(17)』


『大失敗!中国合弁工場顛末記』 第17話

 総経理のWも、最後までジタバタした。あと4か月で、自動的に手に入ると思われていた合弁会社の経営権は、扶双がM社に依頼したために、自分の割り前をかすめ取られたような気がいしていたのだろう。

 私にも電話をしてきた。ある時は、合弁を継続しようと言ってみたり、ある時は月に一度訪れるM社のS社長が、自分に道理を諭すのが気に入らず、その愚痴を言ったり。いずれにしても私は『董事長の権限はS社長に委任した、彼の意見を取り入れて経営にまい進しなさい』と突き放した。

 払う金はない!と開き直ってみたり、泣き言を言ったり、文字通りジタバタとしたが、こちらも時間切れは困る。株式買い取りか、さもなくば告訴か、迫った。

 先送りして告訴されても困る、結局お金を借りて支払う、ということになった。借りて払おうと、預金から払おうと構わない。要求した金額は振り込まれた。期日が3か月半後に迫った4月の末に、合弁をめぐる問題はすべて解決した。

 すでに仕入れ先は、見つけていたので、その後、合弁工場を手放したことで困ることもなく本日まで続いている。まさに同じころ自社工場を手放し、仕入れに切り替えた先輩も同じことを言っていた。『仕入れ先同士を切磋琢磨させ、品質も競うし、価格も練れてくる。手放したことで、困ったことはひとつもないね。』

 名刺から合弁会社の記載が無くなっただけ。拍子抜けするほど何も変わらない、それが現実だった。

 後日、M社のS社長にお会いし、今回副総経理に任命したZ君の感想を聞いた。『一番つらかったのは、毎日誰にも挨拶すらしてもらえない、孤独、が一番辛かったです。』

 17回に渡り連載した『大失敗!合弁工場顛末記』は今回で終了します。お読みいただいた皆さん、ありがとうございます。

 私が敢えて自分の失敗を書ききるまで実に5年以上の時間が必要でした。なんとか書き上げる事ができたのは、『日本人の誰かに私と同じ轍を踏んでほしくない』という強い強い想いからでした。

 つたない文章に最後までお付き合いいただいた皆様に心より感謝します。〔おわり〕


江村 典子

江村 典子
http://www.emura-noriko.jp

株式会社スバルコーポレーション 専務取締役 
1986年に北京語言学院に短期留学したのが、中国とのご縁の始まり。その後、中央民族学院、北京語言学院での留学を経て1989年より、中国貿易に携わる。1995年に会社設立と同時に浙江省杭州市に駐在すること3年半。2001年~2007年まで、江蘇省無錫市の合弁工場の責任者。合弁撤退経験をもとに、製造業が中国に進出した際の『失敗しないため』のお手伝いを始め、好評を集める。現在、(公財)あいち産業振興機構の国際アドバイザー、経産省後援事業の起業家支援団体ドリームゲートのアドバイザーを務める。製造業支援の多言語多通貨対応Web型【耀星】YAOXING生産管理システム正規取次店。

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